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Anyone to Turn to

岡沢亮 contact: boiledend0320[@]gmail.com http://researchmap.jp/ryookazawa

論文ではなく研究ノートであるとresearchmapに明記しなくてもいいのか

主に社会学関係の人たちのresearchmapを日々閲覧しリサーチに励んでいると、こういう業績の表記の仕方はいいんだろうかと気になることがある。

たとえば「論文」の項目に修士論文について記し(これは問題ないというかありがたい)かつ[査読有り]にすること。確かに修論に審査はあるがあれを査読というだろうか。内容を置いておけば、査読有りの論文のほうが査読なしのそれより評価が高いという前提があるだけに、少し自らの業績表の見栄えーーこの場合は本当にパッと見のそれだがーーを良く見せようとしている感じがする。

あるいは、実際には「研究ノート(他の名前で呼ばれることもあるかもしれない)」として学会誌に掲載されたものであるにもかかわらず、それを明記しないまま「論文」の項目に記すこと。これも研究ノートより論文のほうが一般的には評価が高いとされるので、先述したのと同じ感覚を覚える。この場合は修論とは違って、その学会誌の目次等を見て初めて実は研究ノートであることがわかったりするので、私はしばしば騙されたと思ってしまう。これは、その研究ノートの内容の優劣とは関係がない。

あるいは、論文が各大学や学部の紀要に掲載された際に、それを明記しないこと。学会誌と同じ名前の紀要もある。特に学説史研究の論文に関しては『哲学』(三田哲学会)みたいに書いて欲しいと思う。

明確で普遍的な表記ルールはないかもしれないが、こういった表記をする人たちは少し不誠実なのではないかと思ってしまうときもある。特に自分の気分がそれほど良くないときにそうなる傾向がある*1。あまり他人を不誠実であると考える時間を過ごしたくないが、とはいえその目的を果たすためだけなら、私が考えを変えるほうが断然早い。

 

しかしそう考えると、投稿者が査読者を選択できる特殊なシステムを取る『ソシオロゴス』に掲載される論文に関して、researchmapに何か書いておいたほうが誠実であるだろう。特に社会学以外の研究者はそういった雑誌であると知らない可能性が十分にある。普通の意味での査読誌ではないということを書く必要があると思うが、査読者の名前を表記するとかでいいのだろうか。

*1:とここまで考えて思ったが、しばしば聞かれる「研究と人格を分ける(分けて批判する)」といった文言をどう理解すればいいのか、実際のところ私にはよくわからない部分がある。これについてはまた書ければ書きたい。