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岡沢亮 contact: boiledend0320[@]gmail.com http://researchmap.jp/ryookazawa

英語論文計画への逃避

博論が終わったらそれをもとに(といっても分析のコア部分以外は全面的に変えないといけないだろうが)英語論文を投稿しようかと思っている。法社会学系の雑誌に載せるのは文脈づけが非常に難しそうだという印象を抱いたので、文化社会学や芸術社会学や理論系の雑誌(PoeticsSociological TheoryTheory and society、Theory, Culture&Society、Cultural Sociologyなど)を考えている。会話分析の人はROLSIとかを目指すことができるのだろうけど、自分の場合はあまり現実的ではない。

案はふたつある。

ひとつは、判決文を素材に法専門家による作品のわいせつ/非わいせつの区別がいかにして行われているのかを明らかにするという課題を、LamontなどのSB(Symbolic Boundaries)やSVE(Sociology of Valuation and Evaluation)の議論に位置づけて行うこと。区別・境界画定・評価などの実践において用いられる常識的知識の役割への着目の重要性を主張する方向性。SBやSVEの議論は境界画定の恣意性やそれと関連する差別について関心を持つ研究が多いので、偏見とときに近しくなる常識的知識の扱いをめぐる議論は関心を持たれるかもしれない。事例として近いものを扱っているのはNicola Beiselで、論文を読む限り彼女はむしろわいせつ規制の目的論への関心が強いが、参考にはなるだろう。

もうひとつは、芸術の素人にも向けられた芸術批評における正当化実践の分析を、これまたSBやSVEの議論に結びつけつつ、芸術社会学における「ゲートキーパーとしての批評家」に関する議論にぶつけること。批評をめぐる社会学研究は批評が芸術作品やアーティストやジャンルの神聖化にどう影響したかとか、批評家は何に影響されて特定の対象を批評しているのかをめぐる計量研究が多いように見受けられるが、ボルタンスキーのOn Justificationなどを参照しながらそこでの正当化に着目している研究も少数ながらあった(全然引用されていないが)。この辺りを踏まえて何かできるかもしれない。

さすがにここまで研究の位置付けを変えれば、事例や分析の一部が同じでも、日本語の既発表論文との二重発表だとは言われないと思うのだが、そのあたりいまひとつルールがわからないところもある。